[宮崎の蝶]終刊にあたって
白水 隆
怒和貞賞さんが[宮崎の蝶]の発行をはじめられたのは1968年、
以後33年で、すでに63号に達し、本年の64号を最後に終刊に
したいという御本人の意向を知った。[宮崎の蝶]は怒和さん個人
の努力によって継続されてきた印刷物で、宮崎県北部の蝶相の解
明に貢献されたところは大きく、特にゼフィルスについての研究
は著しいものがあった。
怒和さんの生きざまを振返ってみると、彼は学生時代から蝶一
途に生きてきたと思えるし、又それが生甲斐であったように思う。
最初の報文の発表は1959年、彼の初期の報文は、新昆虫、若松
高校生物部報、熊本昆虫同好会報、北九州の昆虫、Satsuma、筑
紫の昆虫、宮崎リンネ会報などの同好会誌に出ているが、御自身
で[宮崎の蝶]を発行されるようになってからは報文の大半はこれ
に出されるようになった。
怒和さんと私のつき合いは長い。彼は元気な人で、熊本県の日
奈久温泉で開催された白水会にもはるばる宮崎県の高千穂から
オートバイで駆けつけて参加して頂いたことなど私は嬉しく記
憶している。
[宮崎の蝶]の終刊にあたり、私は怒和さんに御苦労様であった
と申し上げたい。彼の業績は日本蝶学の歴史に残り、彼の生きざ
まは友人、同行者の心に刻まれて消えることはないであろう。
(2001年3月16日)
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